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Chopin, Fryderyk Franciszek (1810〜1849) ※(仏:Chopin, Frederic Francois ) |
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「ピアノの詩人」とも呼ばれる、ポーランド、ワルシャワ出身の作曲家、ピアノ奏者。フランス人を父に、ポーランド人を母に持ち、幼いときからピアノと作曲に才能を示し、ワルシャワ音楽院に学ぶ。1829年にウィーンでピアニストとしてデビューし、各地を演奏旅行した後、1831年以降、パリに定住する。作曲家のF.リスト、H.ベルリオーズ、詩人のハイネ、画家のドラクロアといった芸術家たちと交わり、多くの作品を生む。特にリストとは作風や方向性は違うものの互いに相手を評価しあう親密な関係だった。そのため「練習曲集 作品10」はリストに献呈されている。1837年以降女流小説家ジョルジュ・サンドと交際、この頃すでにショパンは結核に感染していたが、ジョルジュの手厚い看護により作曲に邁進できることとなる。しかし1846年に破局。破局の理由はジョルジュが先夫との間にもうけた子供の養育問題だったといわれている。1848年にパリ革命が勃発し、それを避けてイギリスに渡る。招聘によりスコットランドに演奏旅行するがスコットランドの濃霧と寒気がショパンの健康を致命的に害し、パリに戻った後、39歳で世を去る。200あまりの作品のほとんどはピアノ曲で、練習曲、前奏曲、夜想曲、即興曲、マズルカ、ポロネーズ、ワルツ、バラード、協奏曲など、多岐にわたる。1927年、ショパンを記念してワルシャワで「ショパン国際ピアノ・コンクール」がはじめられ、途中、中断があるものの、現在は5年に一度開催されている。代表曲は「ワルツ 第6番 変ニ長調 作品64-1《小犬》」「前奏曲 第15番 変ニ長調 作品28-15《雨だれ》」「ポロネーズ 第3番 イ長調 作品40-1《軍隊》」など。
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| (執筆・著) 葉桐夕希 |
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- ★代表的な曲
- ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11 [DB]
- ショパンは2つのピアノ協奏曲の他、オーケストラ付きのピアノ曲を4曲のこしている。これらはショパンが20歳頃に集中して作曲されているが、これはショパンがピアニストとして楽壇に出るためにオーケストラ付きの大きなピアノ曲を必要としたことと、作曲家としての実力を問うためである。この曲の初演は1830年10月11日で、ショパンがワルシャワを去るにあたっての告別演奏会だった。そして、11月2日にワルシャワを去った後、二度と故郷に戻ることはなかったのである。
- ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53《英雄》 [DB]
- ポロネーズとはポーランドの代表的な舞曲であり、古くから農民の間で行われていた祭礼や婚礼の時の行進曲風の舞曲にその起源があるといわれている。また、貴族の間に起こった宮廷舞曲としてのポロネーズもあったが、ショパンの時代には舞曲としてのポロネーズはすでに廃れてしまっていた。ショパンはそれを芸術的な音楽としてよみがえらせたのである。「英雄ポロネーズ」として知られるこの曲は堂々とし、強壮な曲想、壮大な規模を持ち、ショパンの力強いポロネーズの代表である。
- ポロネーズ 第3番 イ長調 作品40-1《軍隊》 [DB]
- 1817年、ショパンはわずか7歳でト短調と変ロ長調のポロネーズを作ったという。まさにショパンの作曲はポロネーズからはじまったと言える。そんなショパンが1838年から39年にかけて作曲したこのポロネーズは「軍隊ポロネーズ」と呼ばれ、ショパンの生涯の中でも最も豪壮な曲となっている。まさに祖国ポーランドの偉大さを表すかのようである。中間部ではラッパの響きや太鼓のトレモロを模す部分もあり、簡潔ながら興味深い曲となっている。また、ショパンの友人、リストはこの曲を非常に気に入り、自らの演奏会で必ずと言っていいほどこの曲を演奏したと言います。
- ワルツ 第6番 変ニ長調 作品64-1《小犬》 [DB]
- 作品64の3曲のワルツはショパンの生前に公開された最後のピアノ曲となりました。その第1曲目「小犬のワルツ」と呼ばれるこの曲は、ショパンの愛人ジョルジュ・サンドの飼っていた小犬が自分のしっぽを追いかけてクルクル回る癖があったものを音楽で表現したものです。非常に短い曲であり、海外では「1分間ワルツ」「瞬間のワルツ」と呼ばれることもありますが、当のショパンは最後のアッチェルラントの速度から逆算して、それほど早くは演奏しなかったと言われています。
- 練習曲 第3番 ホ長調 作品10-3 《別れの曲》 [DB]
- 12の練習曲集作品10の3曲目のこの曲は、ショパン自身が「これまでにこれほど美しい旋律を書いたことがない」と語ったとおりに旋律と和声が美しい曲で、よく知られています。しかし難易度は極めて高く、ルードウィッヒ・レルシュターブは「指をゆがめた人がこれを練習すれば、あるいは直るかもしれない。しかしそうでない人はこんなものを弾いてはならない」と言っています。標題の「別れの曲」というのは、昭和10年頃に日本でつけられたもので、当時公開されたショパンの伝記をフィクションで仕立てたフランス映画の邦題からです。
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