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| Dvorak, Antonin Leopold (1841〜1904) |
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スメタナとともにチェコ国民楽派を確立したチェコスロバキア(ボヘミア)の作曲家。ドイツ・ロマン派の作曲技法を基盤に、民族的要素を融合、国民主義的作風を確立する。プラハ近郊に生まれ、スメタナに学ぶ。スメタナ作曲の喜歌劇「売られた花嫁」がスメタナ自身の指揮により初演されたときには、ドボルザークはその管弦楽団でヴィオラ奏者をつとめていた。34歳の時に作曲の才能をブラームスに認められ、政府から年金を受ける。コロンブスによるアメリカ大陸発見400年記念行事の絡みで、1892年にアメリカに招かれ、3年間をニューヨーク国民音楽院の院長を務めた後にヨーロッパに戻り、プラハ音楽院教授、同院長、オーストリアの終身上院議員などを歴任する。作曲はチェコの民謡を主題にするものが多い。
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| (執筆・著) 葉桐夕希 |
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- ★代表的な曲
- 交響曲 第9番 ホ短調 作品95《新世界より》 [DB]
- ドボルザークは1892年にアメリカに渡る際、妻と6人の子供のうち、とりあえず2人をつれて出発した。アメリカ滞在初期に書かれたこの曲は、1893年5月には完成したが、その執筆は故郷にのこしてきた4人の子供たちのアメリカ到着を心待ちにしながら進められた。子供たちが到着したという電報を受け取った、子煩悩なことでも知られていたドボルザークはあまりにも有頂天になりすぎたために、第4楽章のトロンボーンのパートを一部書き忘れてしまったほどであった(リハーサルの際に発見され、補筆された)。この年の12月にザイドルの指揮により初演され、カーネギーホールのボックス席で家族らとこの演奏を聴いていたドボルザークは、熱狂的な拍手と歓声に何度も立ち上がって応え、後に「王様になったようだった」と回想している。
- 管弦楽曲「スラブ舞曲」 [DB]
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