W.A.モーツァルト (オーストリア)
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Mozart, Wolfgang Amadeus (1756〜1791)

 古典的形式を整備し、新しい器楽形式を確立した、オーストリア、ザルツブルグ生まれの作曲家。完全無比の音楽を創造し、古典音楽の美の神髄を発揮する不朽の名作を数多く残した。ハイドンと並び、古典派音楽の完成者といわれる。幼いときから神童と呼ばれ、5歳で宮廷付き作曲家であった父(モーツァルトの父はザルツブルグ大司教の宮廷楽団に44年在籍し、副楽長も務めている)からピアノを習い、6歳の時に最初の小曲「メヌエット」を作曲する。最初の交響曲作曲は8歳。早くから各地に演奏旅行に出かけ、6歳の時にはミュンヘンで選帝候マクシミリアン3世の前で演奏、続いてウィーンのシェーンブルン宮殿で女帝マリア・テレジア一家を前に演奏した。この時に女帝にキスをしてもらうために膝の上に飛び乗ったとか、転んだモーツァルトを抱き起こしたのは王女マリア・アントニア、のちのマリー・アントワネットだったというエピソードもある。このように各地の演奏で成功を収め、11歳頃から作曲活動が活発になりオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」を発表する。14歳の時にはローマのシスティナ礼拝堂で門外不出のアレグリ作曲九声合唱曲「ミゼレーレ」をたった一度聞いただけで、後から正確な楽譜を書き起こし、楽譜を盗み見たのではという疑いをかけられることもあった。1772年、16歳の時からザルツブルグ宮廷楽団のコンサート・マスターとして雇われていたが、それにも関わらず各地を演奏旅行していたために、ついに1780年にザルツブルグの大司教に呼びつけられ、折しも大司教とうまくいっていなかったため辞表を提出、この後はフリーの作曲家としてウィーンで生活することとなる。貧困のうちに35年で生涯を閉じるが、交響曲、協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、オペラ、教会音楽など作品は多岐にわたり、モーツァルトの作品を整理したケッヘルによれば、その数は626曲に及ぶ。それらのうちでも最大の功績はドイツ・オペラの道を拓いたことであり、イタリア・オペラ全盛の中で、ドイツに古くからある歌芝居の伝統を生かし、音楽的に完成したドイツ・オペラを創造することにつとめた。オペラ作品として「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」などが知られるが、そのほかにも「交響曲 第40番 ト短調 K550」「交響曲 第41番 ハ長調 K551《ジュピター》」や「ピアノ協奏曲《戴冠式》」など、著名な作品が多い。「バイオリン・ソナタ 第38番 K403」は妻コンスタンツェに贈られている。
(執筆・著) 葉桐夕希
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 [解説サイト]モーツァルト・コン・グラーツィア
モーツァルト研究オンライン

★代表的な曲
レクイエム K626 [DB]
 モーツァルトは35歳で葬儀用の音楽の依頼を受ける。作曲しているうちに夢中になるあまり、この曲を自分の死のためにと思いこんでしまう。そして夜を徹してのめり込んだためか、全体のおよそ半分、第3曲「続唱」部分の第6部「ラクリモーサ(涙の日)」の8小節目まで書いたところでモーツァルトは突然の死を迎える。弟子のジェスマイヤーが残された楽想の断片と手法をたよりに仕上げられ、現在聴かれる形になっているが、この曲を作曲したことが彼の死を早める結果になってしまったのかも知れない。モーツァルトの検死結果には「急性粟粒疹熱」とのみ書かれている。
ファゴット協奏曲 変ロ長調 K191(186e) [DB]
 ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲はモーツァルトがそれらの名手であったことから作られたが、管楽器のために協奏曲はその楽器の名手に刺激されて書かれた場合が多い。この曲は管楽器のための協奏曲としては最も早い時期に書かれ、モーツァルト18歳の作品と言うことになる。豊かなカンタービレと鮮やかな技巧が駆使され、ファゴットならではの魅力が存分に引き出されている。しかもファゴットならではのユーモラスな表情も秘められていて、小規模で簡潔な曲ながら、夢大きな作品と言える。


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