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| Pfitzner, Hans(1869〜1949) |
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| 19世紀末から20世紀にかけて、ヨーロッパの作曲界でR.シュトラウスと名声を分かち合った作曲家。フランクフルトのホーホ音楽院で音楽理論とピアノを学び、ピアニストとしても活躍した。ミュンヘン、ベルリン、ストラスブールなどで教鞭を執り、指揮者として活動。1920年にはベルリンに戻って、プロイセン芸術音楽院の教授に迎えられ、その頃から数々の賞を受賞。しかし26年の妻の死を境に創作意欲は減衰し、30年代からのナチス・ドイツの台頭により活動の場を失われてからは、不遇の扱いを受け続け、老人ホームでの生活を余儀なくされるほどだった。晩年にはウィーンフィルハーモニー協会が生活援助を授け、更にいくつかの作品も書かれたが、病により80歳で寂しく世を去った。没後、50年には彼の業績を讃え「ハンス・プフィッツナー協会」が設立されている。「最後のロマン派主義者」と言われていたように、彼の作品の基盤は、ベートーヴェン以来受け継がれてきたドイツ・ロマンチシズムであり、詩的・音楽的な高さによる清澄な作風が特色である。また、シューベルトから始まるドイツ・リートの最後の後継者でもあり、 100曲を越える歌曲が遺されている。 |
| (執筆・著)岡崎 恵 |
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- ★代表的な曲
- 歌劇「パレストリーナ」
- 1911〜15年の作曲、17年ミュンヘンで初演。正式には「音楽伝」と呼ばれる。パレストリーナがトレント公会議に自作の「教皇マルチェルスのミサ」を提出し、宗教改革の時代に多声宗教音楽の存続を認めさせたという、音楽史上の故事を扱った劇。歌劇としての規模の大きさや題材の崇高さもさることながら、彼自身の台本に込められた、芸術家としての至高の境地は高く称賛され、20世紀の劇音楽の傑作とも言われている。
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