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| Schubert, Franz Peter (1797〜1828) |
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歌曲での功績が大きく、「歌曲の王」とも呼ばれるオーストリアの作曲家。ウィーンの小学校校長を父に持ち、音楽好きの一家の中で才能をのばす。12歳で宮廷聖歌隊(現在のウィーン少年合唱団)の歌い手となり、ピアノ、声楽、作曲を学ぶ。1816年、19歳の時に音楽に専念するために父の元から独立し、ボヘミアン的生活を送りながら次々と作品を発表する。1818年、エステルハージ公爵家の音楽教師となり、二人の令嬢にピアノと声楽を教えながら「ピアノ五重奏曲《鱒》」「交響曲 第8番 ロ短調 作品759《未完成》」などを作曲する。しかし、その頃から健康を害しはじめ、以後、その暗い生活の中から、「弦楽四重奏曲《死と乙女》」などの名作をのこす。視力の低下、強度の近視にも悩まされ続け、寝ているときでも眼鏡をはずさなかったと言われている。かなりのビール好きで、身長の割に丸々とした体格を仲間たちは「ビヤ樽」とあだ名していたと言われている。わずか31年の生涯は、貧困と病気の連続で、生来の内気から独身のままだった。歌曲「野ばら」「魔王」「冬の旅」「アベマリア」など。
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| (執筆・著) 葉桐夕希 |
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- ★代表的な曲
- 歌曲「魔王」作品1 [DB]
- 文学者、科学者でもあったゲーテの詩による「魔王」をシューベルトが作曲したのは1815年、18歳の時で、これ以前に数十曲の歌を作曲していたがこの「魔王」を作品1として発表している。この曲は普通の歌曲と違い、物語を説明する詩も入っていて、一人の歌い手が、説明者、父親、子供、魔王の4人を歌い分ける。
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