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| Smetana, Bedrich (1824〜1884) |
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チェコスロバキア(ボヘミア)の作曲家。ボヘミアの「国民音楽の父」とも呼ばれる。チェコ国民音楽の確立に努力し、チェコ国民楽派の創始者でもある。4歳ですでにバイオリンを弾きこなし、四重奏団に加わって弾くこともできたという。6歳の時にはオペラの旋律をピアノになおして演奏し、7歳でピアノ曲を作曲しはじめるなど、子供の頃から作曲家として認められていたが、さらに作曲をリストから学び、交響曲やピアノ曲を作る。1866年、プラハの国民歌劇場の指揮者となり、国民的なオペラの作曲に師事、同年に作曲した喜歌劇「売られた花嫁」で名声を高める。1874年、50歳でに聴覚を失い(40代の頃から幻聴があったといわれる)、指揮者の地位を去るがその後も作曲を続け、国民的大交響詩「我が祖国」、弦楽四重奏曲「我が生涯より」などの傑作をのこす。しかし「我が生涯より」の続編のつもりで弦楽四重奏曲第2番を書きはじめた頃から脳障害による精神錯乱の兆しが見え始め、1884年に精神病院に入院するが、回復することなく、狂気の発作中に生涯を閉じる。最後に書いていた作品はシェイクスピアの「十二夜」に基づくオペラ「ヴィオラ」で、365小節までが書かれていたが、後に手を加えられて1924年にプラハで初演されている。
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| (執筆・著) 葉桐夕希 |
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- ★代表的な曲
- 交響詩《我が祖国》 [DB]
- スメタナは1874年から5年をかけて「ヴィシェフラド」「ヴルタヴァ(モルダウ)」「シャールカ」「ボヘミアの森と草原より」「ターボル」「ブラニーク」の一連6曲の交響詩を作曲、これに「我が祖国」という題を付けて1883年に発表した。当時のチェコスロバキアはオーストリア帝国の属国としてハプスブルク家の支配にあり、チェコ人でありながらチェコ語を話す自由すら奪われていた。スメタナは社会と政治への鋭い意識を持って、チェコ音楽家として進むべき道を示したのである。この曲の作曲はどんどん聞こえなくなる耳との闘いでもあった。第1曲「ヴィシェフラド」の総譜には「耳の病を患いながら」の添え書きがあり、第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」完成間近の1874年11月30日の日記には「私には何も聞こえない。右の耳も左の耳も。ツォウファル博士はまだ絶望していないが、私はもうたぶんだめだろうと思っている。せめて耳鳴りだけでも止んでくれたら!」と悲痛な思いが書かれている。
- 喜歌劇《売られた花嫁》 [DB]
- スメタナの2曲目の喜劇風のオペラで、ボヘミアにある小さな農場を舞台としている。「序曲」はスラブ舞曲風のリズムによる軽快さがある。この曲の初演は1866年にスメタナ自身の指揮でプラハ仮劇場(国民劇場の前身)で行われたが、その時、7歳年下のドヴォルザークはその劇場の管弦楽団でビオラ奏者をつとめていた。
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